カリスマの所以と、その理念

「ちゅか君ダイエット」をお読みになった方は、
何故彼が「カリスマ」なのか、俄かには理解できないに違いない。

「何度もリバウンドしてるから『リバウンドのカリスマ』じゃないか?」
「糖尿、痛風、脂肪肝…生活習慣病なのに『ダイエットのカリスマ』とは片腹痛いわ!」

…こんな皆さんの心の声が聞こえてきそうだ。

ここでは、そんな皆さんの声にお答えして、
ちゅか君のカリスマたる所以を解き明かしてみせようと思う。


★カリスマの理念

運動のダイエット効果を完全に否定し、かなりキツめの減食一本で短期間に体重を落とし、
リバウンド・健康被害と紙一重のスリルまで味わえる
「カリスマダイエット」を提唱するちゅか君。

そんな彼は、自身の提唱するダイエット法・ダイエット理論は正しいと信じてやまず、
多数の悩めるダイエッターを救うことができる、と確信している。

その確信は、彼の中で確固たる理念や、強い使命感となっており、
こうした心情はブログ記事や2ちゃんねるで散見できる。

2ちゃんねるダイエット板・初心者スレ35より。

262 ちゅか君 ◆ANGF9GdJEo New! 2008/03/07(金) 21:54:31 ID:mKWF5m25
やれやれ。
ざっと見渡しても、いちいち突っ込むのもつかれるぐらい
誤り、オカルト、俗説ばっかり回答されているな。

時間があれば、ひとつひとつ突っ込んであげてもいいんだが、ちょっと無理だ。

ただ、やっぱり本当に正しいダイエットは、まったく理解されない、
日本国民を肥満から救うには、粘り強い啓蒙が必要なんだな、

という感は、ここに来て以来、日増しに強く感じている。
私(カリスマ;ちゅか君)に課せられた責務は重い。

さらに、08年4月7日記事のコメント欄より。

ダイエットは、国民を健康にするために存在意義があり、
健康の目的は、国民の幸福のためです。
無辜の人民を、虐待・拷問に等しいことまで平気でやろうとする、
現代の暴君には、これでは、本末転倒。
こんな暴君は、さっさと打倒して
人民の手に自由なダイエットを取り戻すのが先決です。
なにぶん、科学的に間違った暴君なのであったのなら、なおさらです。

正義感の強いちゅか君は、
自身の主張と異なる専門家や、インチキな商品を売り出す業者に対して、
声を荒げて強く批判しているのである。

その姿はまるで、新興宗教の布教のようだ。

…そんなちゅか君が見据える「ダイエットに悩むターゲット」とは、どんな人々か?
それを示す記事はいくつか散見されるが、
その中から08年5月4日の記事を抜粋・引用してみる。

運動は、”苦”であり、たいへんな労苦で、
向いている人、好きな人、我慢強い人でなければ困難なことだからです。

誤った精神論、オカルトな精神論が、ここに介在しています。

苦は、善であり、
楽は、悪である、と。
そして、善行にには、善果が返り、
悪行には、悪果が返るのだ、と。

宗教や人生訓としてなら、こういう話もアリでしょう。
だが、我々は、人体の具体的な問題を具体的に解決しようという、
科学の話をしているのです。
こんなものは、まったく関係がありません。
無益どころか、有害きわまりありません。

否定するぐらい、簡単なことはあるまい。

誰だって、何だって、否定はできる。
様々な説、様々なデータが、世にあふれている中で、
否定に都合のよいものを組み合わせて示すだけでよいのだから。
そして、それは、不安にかられる大衆は、すぐに間に受ける。

だから、真に、真実を求める大衆のために、
自分自身が立ち上がるという、そういうカリスマが必要なのだ。

この記事をはじめ、他の記事や2ちゃんねるの書き込みを見ると、
彼が救いたいと考えているのは、おおよそ以下のような人々であろうと思われる。

「専門家や業者の言葉を鵜呑みにしてしまい、どう痩せたらいいのか分からない」
「嘘を嘘と見極めることができない」
「1日3食、栄養バランスを考えた食事を摂るのは難しい」
「運動と聞くと、『ハードだ』『続けられない』と思い、身構えてしまう」
「自分に合わない強度の運動でダイエットしていて、辛く感じている」
「運動中心でダイエットを始めたが、結果が出ないで焦ったり、落胆したりしている」

ダイエットにあたってこのようなことで悩む人々は、日本に、世界に、沢山いるはずだ。
悩み、苦しむ人々を、一人でも多く救いたい…

こんな風に考えるちゅか君の強い理念と使命感が、
彼自らを「カリスマ」と呼ばせしめているのである。

「何と傍迷惑な!」と思う方が大多数かもしれないが、それは凡人の考えというもの。
たとえ100人中99人に迷惑がられても、残り1人のダイエットの悩みを解決できれば良く、
そもそも自分は素人なのだから、発言にそんな責任を持つ必要はあるまい…というのが、
カリスマの考え方なのである。


★ちゅか君の考える「カリスマ」像

では、ちゅか君の考える「カリスマ」とは、どういったものであろうか?
これまでの彼の発言を総合すると、こんな感じではないかと思われる。

●先駆者となり、いつも人の先を行く
●人とは違うことを主張し、人とは違うことをやる
●どういう形であれ、人から注目される
●どういう形であれ、自分の発言で人に影響を与える
●人の話を鵜呑みにせず、自分の頭でしっかりと判断する
●自分が正しいと思ったことは、誰から何を言われようと決して曲げない
●善悪とか道徳とかに縛られている凡人を啓蒙する
●人を睥睨する(上から目線で見下す)
●強い正義感を持ち、不正や悪と感じる事柄を糾弾する

本来の定義はともかくとして、
ちゅか君の中では、「カリスマ」というものを上記のように定義しているようである。

そして彼は徹底して、自らのカリスマ像に沿った言動をとりつづける…というわけだ。


なお、彼の中でのカリスマの定義には

   ●理屈ではなく、行動と結果で人を従えていく

という事項は一切含まれていない。

コメント欄のいくつかのレスから、それを読み取ることができる。

4月19日記事のコメント欄。

僕自身が、ぜひ多くの皆さんに
読んでいただき参考にしてもらいたいのは、ダイエット理論の部分なんです。
僕の実際の体重とか、ダイエット進捗状況の御報告は、
これは、応援してもらうためのファンサービスみたいな付録ですよ。

4月28日記事のコメント欄。

ダイエットに限らず、完璧主義は、万事失敗の元なのです。
ときどきつまづきながらも、しっかり前に進むこと、
これを皆さんに身をもってお教えすることことが、
カリスマと呼ばれる身にふさわしい責務だと考える次第。

4月29日記事のコメント欄。

私(ちゅか君)のカリスマたるゆえんは、
ダイエットの実践上のことのみならず、正しいダイエット理論を解き明かし、
それを広めるという点にもあります。
また、カリスマといえども、凡人と変わりないという一面をあらわにすることも、
これも、皆さんとカリスマとの距離を近づけるのに有益かと考えています。

さらに、5月16日のコメント欄。

私というひとりの人間のダイエットの正否など、
これは、世界人類にとって実に取るに足りない些細な話。
一方で、私だけが知っている、私にしか話せない、
科学の話を皆さんの前で語らせていただくことについては、
これは、世界人類の利益に結びつくことなのです。

まとめると、

「理論がメインであとはオマケ」であり、自らのダイエットの成否自体は些細な話。

ちゅか君自身が理論を実践できず過食に走るのも、それは

「完璧主義ではうまくいかないことを伝える」
「凡人と変わりない一面を露にして、親しみを持ってもらう」

という狙いがある、ということである。

流石カリスマ、奥が深い。



★ちゅか君のぶっちゃけ話

ここまで読んでもなお、今ひとつスッキリしないと感じる人は少なくないかもしれない。
なので最後に、コメント欄のやりとりにおいて、
ちゅか君が正直に「ぶっちゃけた」場面を紹介してみたい。

4月2日記事(T change the world)のコメント欄より。
こんな質問が寄せられた。

純粋な質問です。
あなたは何を根拠にカリスマダイエッターと自称するのですか?
事実今あなたは太っているのですよね?
ダイエットをしている人は、そんなあなたを誰も尊敬はできないと思います
それとも確信犯なのですか?
単に自分がカリスマだと他人に擦り込みをしたいだけに捉えてしまいます

どうか教えてください

Posted by:ひろこ  at 2008年04月03日(木) 00:47

それに対する、ちゅか君の回答がこちら↓

>>ひろこさん

カリスマという呼称ですが、
自分では、これはとても楽しいし、読者の方の注目もあがると思って使っています。
自称するところが、また、ポイントだと思っています。

そもそものカリスマの定義はさて置いて、
カリスマを自称することはとても楽しく、読者の注目も集まってとても良いことだ…と
ちゅか君は考えているわけだ。

人を見下した発言と屁理屈ばかりで行動も結果も伴わないことに
読者が苛立ち軽蔑していることなど、ちゅか君にとっては
取るに足らないどうでもいいことなのである。

とりあえず自分が楽しく、どんな形であれ人から注目され、反応を得られれば
それで満足だというのが、カリスマ・ちゅか君の本音なのだ。


【まとめると…】

●ちゅか君は、自身の提唱するダイエット法を
  「楽で正しいダイエット法」であると信じてやまず、それを広めることに
  並々ならぬ使命感を抱いている。
●ちゅか君は、『カリスマ』を一般的な定義ではなく
  「独自性を持ち、人を啓蒙する先駆者」
  「どんな形であれ、注目され人に影響を与える者」
  「強い正義感を持ち、批判に屈せず悪を糾弾する」
  「凡人を睥睨する」
  という風に定義しており、オンライン上では常にその定義に沿った行動をとる。
●ちゅか君は、カリスマを自称することで
  読者が反応するのが楽しくて仕方がない。
●行動と結果で人を従えることができなくても、
  ちゅか君自身のカリスマ像は揺らぐことはない。
  (ブログ記事のうち、理論以外はファンサービスのオマケでしかない)


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