運動否定論「大長文」
A大長文を「分析」する

それでは、カリスマの運動否定論「大長文」の分析・解説をしていこう。


1.「運動のリスク」を考える

カリスマ・ちゅか君の指摘の通り、運動のメリットはしばしば語られるが、
そのリスクについて語られる機会はあまり多くない。

また、運動のメリットにばかり目がいってしまい、そのリスクをはっきりと認識することなく
自己流で不適切なワークアウトをやってしまうという実態も見逃せない。

しかし、運動をすることにリスクがあったとしても、
悪いのは運動そのものではないことは周知の通りである。

何らかの慢性的疾患を抱えているなど、血液をはじめとする身体の諸機能が十全でない場合、
無理な運動を行うことは当然好ましくなく、医師による適切な指導や、
当人の自覚に基づいた運動量のコントロールが必要不可欠である。

また、朝起きてから水分補給もせずに、急に運動を始める…とか、
夏の暑い中、不用意に屋外で運動する…といった、
好ましくない条件で運動を始めてしまう例もある。

元々身体機能が十全でなかったり、身体にとって好ましくない条件のもとで運動をすることで、
突然死のリスクは高まるわけだ。

そのリスクを減らすためには、

●運動と並行して食生活をはじめとする生活習慣の改善に取り組み、
  身体の状態を徐々に整えていく
●慢性的な疾患のある場合は、医師に相談してアドバイスを仰ぐ
●身体にとって好ましくない条件での運動はしない
●焦らず無理せず、自分の身体の状態と相談しながら運動に取り組む


といったことが必要になってくる。

身体の状態、運動への取り組み方、アドバイザーの有無、減量に対する心理状況といった
諸条件はそれぞれ異なっているため、一概にどうこうは言えないが、
各人の状況に見合った運動、運動への適切な理解の促進、
食生活をはじめとする生活習慣の改善で、運動による「不幸な事故」は大分避けられるだろう。

ちゅか君は敢えて触れなかったが…
このように、運動の突然死リスクと身体の状態、
そしてそのベースにある食生活をはじめとする生活習慣には密接な関わりがある。

運動のリスクを語るのであれば、その原因を運動そのものに求めるのではなくて、
突然死の背景にあるものまで含めて考えていかなければならないだろう。

カリスマ・ちゅか君が

「否定することは、誰でもできるのだから、否定ばかりしたって、それは、誰の役にも立たない」

と自ら語っている通り、
運動のリスクだけを取り上げて槍玉に上げるのではなく、
そのリスクを軽減・解消していくための方策を考えたほうが建設的である。

それでもちゅか君が、運動のリスクを持ち出してまで「運動による減量効果」を否定するのは、

運動のリスクを認識した上で、適切な運動を行って欲しい…というカリスマの深い思慮と、

敢えて運動のリスクを強調することで読者の反発を起こし、
どんどん運動に取り組んでもらいたい…という隠れた狙いがあるのではないかと思われる。

そう、ちゅか君が「カリスマダイエット」の啓蒙に熱心なのは、
カリスマダイエットそのものを広めたいからではなく、
「新ちゅか君ダイエット」読者に、「無理なく続けられるダイエット」に目覚めて欲しいからなのだ。



2.消費カロリーと摂取カロリーの「不安定なバランス」

カリスマのダイエット理論のベースにあるのが
「消費カロリーと摂取カロリーは、バランスしている」という説である。

ただ、どんな場合でもそれが当てはまるのだろうか?

摂食障害は言うに及ばず、ストレスから来る食べ過ぎ、街中で待ち構える「食の誘惑」など…
何かの拍子で、オーバーカロリーになってしまう危険は常にある。

消費カロリーに合わせて、常に無意識のうちに適切なカロリーを摂取できるのであれば、
そもそも肥満の問題など起こり得ないのではないか?

しかしこれは、カリスマ自身の、身体への揺るぎなき自信を論拠に出てきた理論なのだろう。
何度もリバウンドを繰り返し、それでも血液検査の各数値が
(2008年5月時点では)致命的に悪いわけではないことから、
ちゅか君は自身の肉体の健全性に確たる自信を持っている。

その自信が、我々凡人が見れば根拠薄弱としか思えない
ヒトの肉体の「ある種の性善説」(=消費カロリーと摂取カロリーは自動的にバランスする)に
昇華している、と私は見ている。



3.「カリスマダイエット」の普遍性を考える

運動による減量効果を完全に否定するちゅか君は、減食によるダイエットを推奨している。
減食での減量は、「どんな状況の人間にも当てはまり、普遍性・一般性がある」
「論理的にシンプルで破綻がない合理的な方法」だとカリスマは考えているのだろう。

しかし、人間は千差万別である。
肥満の程度、健康状態、生活習慣、スポーツ経験、趣味嗜好など、まるで違う。

どのようなダイエット方法を選ぶかは、それぞれの生活状況や嗜好に左右されるものであり、
たったひとつの方法を以て「正解」とは言えないはずだ。

(※勿論、専門家の指導を仰がない極端な減食、キャベツダイエットなどの「一品ダイエット」、
はたまたいきなり極端に運動量を増やすダイエットなど、無茶で極端なダイエットは「正解」とはいえない。
それらは、たとえ痩せることができても、続けなければリバウンドまっしぐらな方法であり、
ややもすれば健康に悪影響を及ぼしかねない方法だからである)


正解は、人の数だけ存在する。

ある人はカロリーコントロールを中心に、無理なく運動して痩せていく。
またある人は運動を中心に、食事は食べすぎや間食のないようにして痩せていく。

運動とカロリーコントロールの「正統派」、朝バナナダイエット、レコーディングダイエットなど、
ダイエットには様々な方法があり、自分の身体や生活状況と相談しながら
それぞれに合った方法を選んだり、組み合わせたりしていけば良いと私は思うのだ。

だがカリスマ・ちゅか君は、敢えて人の多様性を排除し、どんな人にも勧められる方法として、
難度が高くリスクもある「カリスマダイエット」を頑なに提唱している。

カリスマの脳内では、減食こそがただひとつのシンプルな真実である。
そして、このシンプルな真実は、全てのダイエッターが知り、賛同し、実行すべき事柄である…と、
そのように考えているのだろう。

一方では「両論併記」を唱えながら、
その一方では人の多様性を敢えて排除し、単純化された原理と、自身の絶対性を押し付ける。

その様は、まるで日本海を隔てた某国の将軍様を彷彿とさせる。

もしかしてちゅか君は、自身のイメージするカリスマ的存在のモデルとして、
某国の将軍様をイメージしているのかもしれない。



4.「継続すること」に隠された意味

運動否定論の中で、「継続の大切さ」をバッサリと斬ってみせたちゅか君。

カリスマによれば、どんなに運動してカロリーを消費しても、それに合わせて
無意識のうちに食物を摂取してしまうため、どんなに運動を継続しても無意味だということだ。

だがしかし、ちゅか君が「継続の大切さ」をぶった斬ってみせた裏には、
カリスマの深慮遠謀が働いているのである。

カリスマは我々の前で「継続の意義」を敢えて否定してみせることで、
言外のうちに「無理のないダイエットの継続」を訴えかけているのだ。

肥満は、何かの拍子で食生活をはじめとする生活習慣が乱れたことが原因である。

ならばダイエットは、
「乱れた生活習慣を整え、健やかで明るい生活を取り戻す行為」と言うことができるだろう。

そして、生活習慣の改善は一定期間で終了する類のものではない。
理想体重までダイエットを成し遂げた後も、健康で快適な毎日を送りながら、
生活習慣の維持や見直しを継続していくものなのだ。

「継続」という概念をぶった斬り、極端な減食による短期決戦のダイエットを推奨するカリスマは、
過食と生活習慣病の危険に常に晒されながら、身を挺して我々に
「生活習慣を改善し、それを継続していくこと」の大切さを訴えかけているのである。



5.結局は「やった者勝ち」「続けた者勝ち」

ここまでは、ある程度の客観性をベースにしながら私感に基づいたカリスマ分析を進めてきたが、
最後に、私自身がダイエットに関して考えていることと絡ませて、
カリスマダイエットについて語ってみたい。

カリスマ・ちゅか君と出会ったことがきっかけで、
私はダイエットに関する情報を色々と集めるようになった。

カリスマダイエットだけでなく、2ちゃんねる・ダイエット板や、ダイエット関連サイトを見てみると、
あるひとつの事柄に関して、解釈が割れている例がいくつかある。

例えば…

「筋肉量を増やして、基礎代謝をアップすべきだ」
「いや、筋肉量を増やしたところで減量効果はさほど見込めない」

「空腹時に運動すると、血中の脂肪が燃えやすい」
「空腹時の運動は、血管に負担をかける」

などなど。

どれも、程度の差こそあれ、それなりに正しい「検証された事実」ではある。

ダイエッターの中には、こうした情報を目にして
「より効率的に痩せるにはどうしたらいいか?」と考え、迷う者も少なくないだろう。

さらに、カリスマ・ちゅか君のように、自身の減量をほったらかしにしてまで、
「より効率的に痩せるための方法」について思考を巡らせる人間までいる。

人間はラクをしたがる生き物だから、心のどこかで「効率」とか「合理性」とかを求めたがる。
特に、物事がうまくいっていない時に、それは顕著になる。

だが、効率や正しさばかりを追求するあまり、肝心の「行動」が疎かになったり、
セールストークに引きずられて必要のないダイエット商品を買ったり、
モティベーションが下がったりしたら身も蓋もない。

もちろん、自分の健康のために、情報を集め知識を得るのはとても大切なことだ。

しかし、それが高じて「効率良いダイエット方法」を延々と探し続けたり、
2ちゃんねるで自分と意見の異なる者と煽り合いをしたりする時間があるのなら、
他に何かできるんじゃないか? と思うのだ。

今日食べた食事の内容を記録する、とか、
すぐにでもできるような、ちょっとした筋トレやストレッチなどの運動をやってみる、とか。

ダイエットを成功させる人は、情報を目にしたとき、
あれこれ考えたり能書きを垂れたりする前に、自分にできることを粛々と実行している人である。


食事の見直し、食欲のコントロール、
有酸素運動や筋トレ、ストレッチをはじめとする各種運動などを、

自分の状況や嗜好に合わせて実践し、無理なく続けている人が、当然の結果として痩せていく。

だが、カリスマ・ちゅか君は、そのカリスマぶりをweb上で発揮することにご執心で、
2ちゃんねるでのカリスマダイエット布教や、ブログの執筆、
ヲチャやコメンターとの議論のみで「満足」してしまっている。

カリスマダイエッターにもかかわらず、何故か成功者の真逆をいっているちゅか君は、
その使命を全うするために敢えてそうしているのだろうが、我々凡人はそれではいけない。

理屈とか効率とか正しさとかで悩む暇があったら、
とりあえず今できることをやってみたり、
今までやってきたことをやり続けたほうが良いのだ。

私は、効率や合理性に拘泥するあまり肝心の行動が伴わない「カリスマ」よりも、
焦らず弛まず、完璧を求めず、
小さなことからコツコツと実践する「凡人」でありたいと、そう思っている。



…と、色々書いたが、最後に
カリスマ流の文献の読み方と引用について、しっかりと取り上げて
この「大長文」の分析と解説を終わりにしたい。

(カリスマ流で)

乞う!!

ご期待!!!


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